2011年3月11日から10年が経ちました。
故郷の宮城県石巻市は、震災から10年ということで、TV局がたくさん取材に訪れていたようです。コロナ禍で1年半ほど帰省していませんが、たびたびTVに映るため、「こんなところに復興住宅が?」「こんなところにおしゃれな建物が建っている」と映像をみて復興の具合が垣間見えたりしています。巨大津波の爪痕は故郷の景色をいっぺんさせ、子供の頃にドラえもんを毎年見に行った映画館はなくなり、海沿いを通っていた電車は内陸部を走るようになり、海には巨大堤防ができており…。
石巻市には数多くのボランティアさんが集まってくださり、実家も水につかった畳を外に出すお手伝いをしてもらったそうです。自衛隊や役所の方も全国から集まり、本当にいろいろな方の支援があったようです。
いまだ行方不明者が多数、突然家族が分断される悲しみは、現在の状況に少しかぶるような気もするし心が痛みますが他人が助けてくれるありがたさは心温まるものがあります。
また、あの時、存命であった祖母は高台の施設で不自由なくすごせました。大変ななか、医療職・介護職の方は、精いっぱい頑張ってくださっていたんだと改めて思います。
そして、当時私が勤務していた訪問介護・居宅事業所の皆様、自分事のように心配し支援物資を集めてくれたり、当時行方知れずだった私の両親を探すため、ネットに載っていた避難所名簿を一生懸命探してくださったこと、感謝しています。ちなみに幸い両親は無事でした。
区切りはつかないものだと思いますが、節目は大切にし教訓を思い出し感謝の気持ちを思い起こしていきたいと思っています。
2021.3.13 おばら