村田兆治さんが空港の保安検査場でトラブルを起こした、というニュースを聞いたのが昨年9月。
元プロ野球選手、ルールを守ることの大切さは身に染みているはずの彼がなぜ?
離島甲子園を創設し、スポーツを通じて子供たちの人間教育に尽力していた彼がなぜ?
72歳という年齢でもあり、体や心に何か起きているかも…という思いを持った医療介護関係者も少なくないと思います。
そして11月、未明の住宅火災による一酸化炭素中毒で死亡というニュース。
11月中に早めの忘年会を川崎で予定していたので、旧川崎球場にしつらえられている献花台に花を供えに行きました
忘年会参加者は、私、夫、そして10歳ほど年下の幼なじみK。
夫と幼なじみの共通点は「パリーグが人気がなかったころからの、パリーグファン」であること。
昔のパリーグは情報がとにかく入らなくて、AMラジオで試合中継を聞いて、途中で番組が終了するとプロ野球ニュースをテレビで見て内容を把握する毎日だったとのことです。
小中学生が22時~23時~までテレビを見て起きているなんて、
「早く寝なさい。明日学校に遅刻するよ」
と言われなかったのかしら。
両名の母親の顔を思い浮かべながら、この2人は親のいうことを素直に聞かなかっただろうなあ、と話を聞いてました。
幼なじみKは子供のころ、川崎球場まで自転車で向かい、父の会社の年間予約シートを利用してロッテを応援していたとのこと。野球は何時に終わるかわからないのに、ナイター見物に小学生が一人で出かけるなんて、なかなかワイルドな子供時代です。
年が明けて、旧川崎球場の照明塔がついに撤去されることになり、Kからの知らせを受けてイベントに出かけました。イベントのタイトルは「村田兆治さんの思い出を胸に去り行く照明塔を見送る会」。
がらがらの観客席で起きる珍事件、観客動員数を増やすための球団側の努力、応援団員たちのボランティア精神あふれる奮闘奮戦。よい天気に恵まれ、グランドの芝に腰を下ろしてお昼から日が傾くまで、元選手、元球団関係者、アナウンサー、元応援団などの野球話を聞きました。集まった観客の中には、杖をついて足腰の悪そうな方もいて、芝に腰を下ろすのです。やってくるだけでも大変でしょうに、立ち上がれなくなったらどうしよう、と心配になりました。それでもわざわざやってくるのには、どんな強い思い入れがあるのでしょうか。
村田兆治さんはもちろん、登壇した元野球選手たちの色紙サインを次々に見せてくるわが幼なじみも、「いつも来る子供」として球場関係者や選手たちに知られていたんじゃないかな。そんな思いが胸をかすめます。
2023.1.14 こしごえ